SHISEIDOの「赤」には、
物語がある。
資生堂にとって赤い色は、
新たな美の概念を伝える場面に登場する、
象徴的な色でした。創業から約150年という歳月は、
実は挑戦の歴史です。
新たな美をつくりだし、
人々の日々を彩る存在でありたい。
その思いが積み重なって
できたものであり、
いわば赤は、チャレンジスピリットの
象徴ともいえます。そして赤の物語は、今も引き継がれ、
新たな美への挑戦は続いています。
いつもあなたをドキドキさせる赤であるように。さあ物語のページを開きましょう。
美しさをかなえる赤の世界へ。
From
Lifeblood Research™Lab
赤のサイエンスは、
美肌免疫に着目。
資生堂は、内なるいのちのめぐりの美しさを、
いわば「赤のサイエンス」としてとらえ、
そこから健やかな肌をめざしてきました。
そのためには「美肌免疫」がカギであると
早くから着目し研究を続けています。
美肌免疫。
それは誰にも備わっている防御システムであり、
いわば一人ひとりが本来持っている、
美しい肌へと回復する力なのです。
あなたの肌にもある、
未知なる力をみつめてみませんか。
愛され続ける、伝説の赤い水
オイデルミン
愛され続ける、伝説の赤い水
オイデルミン
美しい透明ボトルに、ルビー色の化粧水。レーベルには流れるような文字で“EUDERMINE”と記されていました。欧文の商品名は、100年以上前の日本ではとても大胆でモダンな印象。“EU”はギリシャ語で「良い」、“DERMA”は「肌」を意味します。美しさのためにまず、ベースとなる肌を健やかにしようという、資生堂の哲学が名前に表れています。資生堂にとってオイデルミンは、明治の肌を次の進化へと導く役割を担っていました。その後も長く使われ続けているのは、肌が基本的に必要としている柔軟、清浄というはたらきを本質とし、多機能で、時代に合わせてアップデートしてきたからと考えられます。
美しさを引き出す、赤
七色粉白粉
美しさを引き出す、赤
七色粉白粉
正式な名称は「着色福原粉白粉七種」。白、黄、肉黄、緑、ばら、牡丹、紫の7色で、使う人の肌の色や生活シーンに応じて、自由に色を選べるのです。自分好みの肌の美しさを演出できるため、女性たちの間でたちまち評判となりました。この時代は、メイクアップも欧米のスタイルが日本に入ってくるなど、新しい文化、流行が少しずつ知られるようになった頃。それぞれの美を楽しむという選択肢が広がった時代でもあります。さらに歴史資料の記録によると、緑や紫は、電球の光線に映えるため新橋芸者に愛用されたそうです。以降白粉は、複数のカラーバリエーションを持ち、それぞれの肌色を美しく演出できるメイクアイテムになっていったのです。
赤に、思いをのせる。
資生堂の口紅たち
赤に、思いをのせる。
資生堂の口紅たち
赤い口紅は1951年のもの。時代の動乱を越え、どんな局面にあっても美しさへの思いは生き続けていました。そし1961年「キャンディトーン」プロモーション。7色の色展開で、明るく健康的な口紅の色は、当時の流行になりました。1964年の「Make-up Tokyo」キャンペーンは、日本で初めて開催となった東京オリンピックの開催と同じ年。東京を背景に日本固有の美しさを表現することをめざしました。さらに今まで色のバリエーションのみだった提案を、口紅とネイルを組み合わせてメイクアップパターンと呼ばれる「型」で新たな美しさを表現しようという、試みが行われました。それぞれの時代において、常に新たな美しさへ挑戦し、口紅はいつもその中心にい続けました。
いのちの赤は、生き続ける。
唐草文様包装紙
いのちの赤は、生き続ける。
唐草文様包装紙
唐草文様は古代エジプトやメソポタミアから、シルクロードを経て、アジアそして日本にもたどり着いたといわれている歴史的な文様です。資生堂の唐草は、イギリスの挿絵画家でアール・ヌーヴォーの作家オーブリー・ビアズリーの作品から着想したオリジナルの文様です。意匠部の手によって連続模様化されました。1920 年の広告デザインに始まり、大正末年から昭和初期にかけて資生堂デザインの主要な柄として、多岐にわたり使用されるようになります。唐草とは、植物の持つ生命力を表現するもの。そんな生き生きとした美しさこそ、資生堂がめざす美しさの形だったのかもしれません。いつの時代もスタイルを変えながら、現在まで引き継がれて同時に赤の色もまた、資生堂を象徴する色になっていきました。